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ありがとうございます。
学生時代はアメフトで活躍し
現在は次々と経営破綻の
チームを再建された
山谷拓志さんが気になり
調べてみました。
この記事では山谷拓志さんの
・経営請負人
・経歴
・ラグビーリーグへの思い
・まとめ
についてお伝えいたします!
もくじ
1.山谷拓志さんは経営請負人!
山谷拓志さんが経営請負人と
言われる由縁は経営破綻寸前だった
バスケットボール2チームの
再建に成功したのがきっかけです。
出典元:https://spread-sports.jp/archives/93631
元々はアメリカンフットボールの
選手で活躍、ゼネラルマネージャー
アシスタントコーチしていたのです。
アメリカンフットボールでは十分な
実績を獲得していてその手腕を
買われたのです。
そして畑違いのバスケットボールの
世界に踏み込んだのは2007年の頃です。
最初に債権を託されたのが栃木県の
リンク栃木ブレックスです。
現在の宇都宮ブレックスの前身です。
2006-07シーズンよりJBLに参戦し、
NBLを経てB.LEAGUEに参戦してます。
山谷拓志さんが就任後、JBL2部で優勝し
すぐに結果を出し翌年にはJBL1部に
昇格しました。
1部リーグに上がったタイミングで、
当時NBA再挑戦を目指している、
田臥勇太選手を獲得したいと考えました。
最初は断られましたがその後獲得が出来
山谷拓志さんが予想していた通り
加入後はすごい戦力になってくて
2009-10年シーズンは優勝しました。
この時の優勝は、地域密着型のチームが
初めて日本一になったことで話題になりました。
山谷拓志さんはその後、リンク栃木ブレックスの
経営、監督をされながら日本バスケットボール協会
新リーグ運営本部の副本部長兼COOに就任、
さらには、ナショナル・バスケットボール・リーグ
の専務理事兼COOに就任し多忙な毎日を過ごしていました。
重要ポストに就いている時にかなり話題を
提供していたプロ化とNBLとbjリーグの統合が
推進されることになました。
この時に複数の新興クラブが経営難に直面
している問題が浮き彫りになりました。
特に経営が酷かったのが再建に携わった、
つくばロボッツ(現・茨城ロボッツ)での
給与未払い問題でした。
山谷拓志さんがNBLのCOOを辞めていたのにも
関わらずにつくばロボッツの社長に就任し、
個人名義で6000万円の借金をし再建に乗り
出しました。
その後は資金面でかなり苦労をされたそうですが
チームが水戸に移転を機に2部入りとなり、
6000万円の出資も獲得でき、チーム名も
現在の茨城ロボッツと改名しました
また、2016-17シーズンに年間売上3億円台に
達して、さらには2021年にはB1昇格を果たし
現在に至っています。
2.山谷拓志さん経歴が気になる!
山谷拓志さんは現在は経営を立て直す
お仕事をされていますが、経歴は
どのようなものなのか書いてみました。
出典元:https://net.keizaikai.co.jp/67939
~山谷拓志さんのプロフィール~
名前: 山谷拓志(やまやたかし)
生年月日:1970年6月24日
出身地: 東京都昭島市
血液型: A型
高校: 慶應義塾高等学校卒業
最終学歴: 慶應義塾大学経済学部卒業
職業:静岡ブルーレヴズ株式会社 代表取締役社長
中学3年生の時にたまたま観たラグビーの
試合で慶應義塾大学がトヨタ自動車を破る
姿を見て感動し慶応義塾高校入学しました。
ラグビー部に入部を考えてましたが、
ラグビーの経験のないので試合に出ることが
難しいと思い、アメリカンフットボール部に
入部しました。
入部して時間もかからず才能が開花します。
アメリカンフットボールは合っていたんですね。
大学4年生の時には副キャプテンとなり、
学生日本代表にも選出されました。
大学を卒業し就職をした時は、いったんは
アメリカンフットボールを辞めるつもりで
いたそうです。
リクルートに就職をし、1部に昇格を果たした
リクルートシーガルズで現役を続行しました。
1996と1998年にライスボウルで優勝しました。
2000年にアメリカンフットボールを引退し、
同時にリクルートを退職し仕事との負担を
なくしました。
この退職は、シーガルズのアシスタント
ゼネラルマネジャーに就任する為と
オフェンスアシスタントコーチに就任する為でした。
そして東京スーパーボウルで優勝に導きました。
3.プロラグビーリーグへの思い!
現在は静岡県を本拠地とする
ラグビーチーム、静岡ブルーレヴズの
代表取締役社長をされています。
出典元:https://4years.asahi.com/article/
このチームは2021年1月より発足した
JAPAN RUGBY LEAGUE ONEに所属
しているラグビーチームです。
このチームに入られた経緯は退団で
以下のようなことを話されています。
2005年に、リンクアンドモチベーションという会社でコンサルタントをしていたときに、今の静岡ブルーレヴズの前身にあたる「ヤマハ発動機ジュビロ」の仕事をさせていただいて、選手向けの研修や学生向けのリクルート冊子の制作を請け負っていたんです。その後、リンク栃木ブレックスを経て茨城ロボッツの代表を務めていた2020年の秋、当時お世話になったヤマハ発動機の方から突然連絡をいただき、話を聞いていく中で、「社長をやりませんか」とオファーをいただきました。自分はそのとき、茨城ロボッツをBリーグの2部から1部に上げないといけなかったので「難しいです」とお断りしたんです。でも、プロジェクトの話を聞いていくと、自分がやるべきことではないかと気持ちが盛り上がってきまして(笑)。
引用元:https://doda.jp/sportlight/cross20/
もしかしたら山谷拓志さんは
中学3年生の時にたまたま観たラグビーの
試合で慶應義塾大学がトヨタ自動車を破る
姿を見て感動していう事を思いだしたのかも
しれませんね。
プロのラグビーリーグは始まったばかりです。
思えば1993年にサッカーが今のJリーグを
発足したのと同じ状況のような気がします。
しかしサッカー以上に日本ではマイナーな
競技です。年間の売れ上げもスポーツの世界で
トップは50億だと言います。
それを目指し静岡ブルーレヴズのみならず
ラグビー界を改革するのが目標みたいです。
バスケットボール日本代表イケメン選手は!
4.まとめ
山谷拓志さんの事を書いてきましたが
熱い男この言葉がぴったりですね。
ご自身も一流の選手だったことも
ありますが、これからもスポーツ界を
盛り上げていってほしいです。
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