こんにちは!
管理人のYochan(ヨチャン)です。
いつも記事を読んで頂き
ありがとうございます。
アメリカで大学在学中に
ホームレスになってしまい
ミシシッピ川3000kmを
カヤックで旅した
佐藤ジョアナ玲子さんが
気になり調べてみました。
この記事では佐藤ジョアナ玲子さんの
・どんな人
・3000kmをカヤックで川下り旅
・職業は剥製師
・まとめ
についてお伝えいたします!
もくじ
1.佐藤ジョアナ玲子さんはどんな人?
冒頭で書きましたが、アメリカ最大の
水量を誇り3000kmもあるミシシッピ川を
カヤックで川下りした佐藤ジョアナ玲子さんは
どのような人なのか書いてみました。
佐藤ジョアナ玲子さんは、1996年日本人の
父親とフィリピン人の母親の間に生まれ
東京都港区で育ちました。
佐藤ジョアナ玲子さんは幼少の頃は
小児喘息がひどく、子供の頃は運動を
禁じられていたそうです。
小学校に入学した後は次第に健康を
取り戻して、中学生の頃は月に一回の
ペースでカヌーを漕ぐまでに健康になり
高校生の時は山岳部に入部し完全に
健康的な体を取り戻しました。
高校は東京都立工芸高等学校での
卒業後は、生物学を学ぶためにアメリカの
ネブラスカ州にある大学に進学しました。
ところが、自分のミスでホームレスとなって
しまったのをきっかけに3か月の夏休み期間は、
ミシシッピ川約3000km川下り途中の川沿いで
テントを張って暮らす旅に出ました。
この川下りの途中で、現在の職業になっている
剥製師と出会い剥製に魅了されたそうです。
そして、川下りの旅を終えた後は引き続き
大学に通いながら途中で出会った剥製師の
もとで修行しました。
しかし、大学から剝製工房まで800kmとかなり
離れているので週末に車中泊して行き来し、
剥製工房では屋根裏で寝袋を使って寝ていたそうです。
大学は無事卒業はしましたが、大学時代に体験した
冒険生活で家に住むという気にはならずに
インターネットで見つけた4万円のキャンピングカーを
購入して剥製工房の裏庭で寝ているそうです。
2.佐藤ジョアナ玲子さんは3000kmをカヤックで川下り旅!
佐藤ジョアナ玲子さんのカヤックで
川下りのきっかけは、大学4年の夏休みに
留学先のアメリカでアパートを退去です。
実質ホームレスになってしまったことと
アパート代節約の異ともあったそうです。
佐藤ジョアナ玲子さんのカヤックとの
出会いは中学校の時ですね。
始めたきっかけは分かりませんが、
体力の回復が目的のように思いますし
カヤックに乗るのが楽しかったのかも
しれませんね。
また、東京の高校を卒業後に渡米したのは
母親の死がきっかけだったそうです。
母親はフィリピン出身で11人兄弟の長女で
働きづめで、日本に嫁ぐ前に出稼ぎで
アメリカで働いていたそうです。
佐藤ジョアナ玲子さんは母親が苦労していた
アメリカの風景を「私も見てみたい」との思い
一つで渡米したそうです。
ですのでほぼ無計画な資金繰りのまま
渡米して現地の大学に進学して、
大学4年の夏休みまでは何とか生活が
出来ましたが金策尽きてアパート生活を諦め
タイミングよく夏休みが始まりましたので
ミシシッピ川を約3000km川下りを決行しました。
行動力抜群ですね。
カヤックは知人から譲り受けた古い
フォールディングカヤック。
ここからがミシシッピ川を約3000km川下りの
旅が始まりました。
ちなみにこの3000kmは、日本でいうと
沖縄から北海道までの直線距離になります。
これだけの距離を移動すると初めと終わりの
景色がだいぶ変わるので素晴らしい景色と
沢山みられるのでしょうね。
3か月間をカヤックで移動しながら、
川沿いにテントを張って暮らしていたそうです。
ミシシッピ川ではナマズがよく釣れて
釣り人に譲ってもらっては焚き火で
ナマズ料理を食したりしたそうです。
また日がたつにつれて、川沿いに出会った
たくさんの人にお世話になって、
水や食料の補給のため川沿いの港町に
上陸する度に地元の方が声をかけて
もらい複数の宅に泊めていただいたそうです。
佐藤ジョアナ玲子さんはこの川下りに
ハマった感じがあり世界各地の川下りを
行う計画を立てているそうです。
3.佐藤ジョアナ玲子さんの職業は剥製師!
佐藤ジョアナ玲子さんの現在の職業は
剥製師です。
剥製師とは死んだ動物の皮を剥ぎ、
内臓を取り除き防腐処理をして、
生きていたときの外形を再現する仕事です。
実はこの剥製師はオーダーが殺到しており
なんでも保存する現代にあっているかも
しれませんね。
またジビエといって野生の動物などを料理して
提供するお店もあります。
佐藤ジョアナ玲子さんがこの剥製師に
なったきっかけは、ミシシッピ川
約3000km川下りの旅をしている途中で
剥製師と出会い剥製に魅了したのが
最初です。
旅を終えた後は大学に通いながら
剥製師のもとで修業をして現在に
至っています。
剥製師は日本にも存在しますが、
非常に珍しい職業になります。
明確な基準がありませんし、
資格などもありません。
佐藤ジョアナ玲子さんが活躍している
アメリカ内陸部のハンティングが盛んな
地域でもこの仕事は珍しい仕事です。
剥製師のお仕事に就く人はほとんどが
趣味の延長で独立をして始めています。
剥製工房は多くは1人の職人が自分の
工房を構えてすべての仕事を終始一貫1人で
こなしている仕事です。
そしてもう一つの特徴は、田舎に生まれ育ち、
幼い頃から狩りに親しみがあって日常的に
関わりをもった人が大半です。
また、剥製工房に来るお客さんも同じく、
田舎で生まれ育ち、幼い頃から日常的に
狩りに親しみのある人が購入することが
多いです。
ですから佐藤ジョアナ玲子さんのような
女性の剥製師は珍しいのです。
ジビエ料理の絶品店です!
4.まとめ
佐藤ジョアナ玲子さんの事を
書いてきました。決して良い家庭環境で
育ったわけではありませんが、
前に向くバイタリティーはすごいですね。
これからもよい剥製の作品を作ってほしいです。
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